2006年度 2学期、火曜3時間目 2単位
授業科目 学部「哲学史講義」大学院「西洋哲学史講義」
授業題目「ドイツ観念論における自己意識論と自由論の展開」
第6回講義(2006年11月21日)
§ 番外編
本日は、Schoenrich教授(ドレスデン工科大学)の講演会がありますので、その講演について、事前に内容を紹介したいとおもいます。
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「規則に従うことの制度化? モデルとしてのカントの法状態」
Prof. G.Schonrich (TU Dreseden)
講演の全体は、3部からなっています。
1、古典的−実在論的意味論の批判としての規則懐疑主義
{ここでは、クリプキの指摘した規則順守の問題(クワスの問題)の説明が行われ、規則に従うことについての、「事実主義テーゼ」へのクリプキの批判と「非事実主義テーゼ」の主張が説明されます。}
クリプキが批判する立場を、次のようにまとめる。
「事実主義テーゼ」
(F) 性質(固有性)I1...Inが存在して、記号利用者(記号操作主体)に対して記号Mを Oへの正しい適用を規則化するとき、そのときには、記号利用者に当てはまる事実が存在する。その事実は、これらの諸性質I1...Inを、
(1)記号Mに関する正しさの諸条件として明確にし、
(2)この記号利用者にとって拘束的なものとして設定する。
(F)Wenn es Eigenschaftten
I1...In gibt, die fur die Zeichenbenutzer die korrekte Anwendung des Zeichens M
auf O regeln, dann gibt es ein die Zeichenbenutzer betreffendes Faktum, das
diese Eigenschaften I1....In
(1) als Korrektheitsbedingungen fur M
manifest macht und
(2)
als verbindlich fur dei Zeichenbenutzer etabliert.
これに対して、クリプキが採用するのは、次の立場である。
「非事実主義テーゼ」
(NF)つぎのような記号利用者に関する事実は存在しない。つまり、
(1)諸性質I1...Inの把握を支持することが出来て、
(2)たとえそのような事実があるとしても、諸性質を正しさの条件として拘束力のあるものにすることが出来る。
(NF) Es gibt kein
Faktum uber die Zeichenbenutzer, die
(1) ein Erfassthaben der Eigenschaften
I1...In stutzen konnten und
(2) selbst wenn es ein solches Faktum gabe,
sie als Korrektheitsbedingung verbindlich machen konnen.
2、クリプキのホッブズ主義
{ここでは、ホッブズの国家契約論とクリプキの懐疑的解決の類似性が指摘され、その限界が指摘されます。ホッブズ=クリプキの立場が、‘Hobbke‘という造語で呼ばれます。}
クリプキの提案は、記号利用者からなる一つの共同体の規則に従うことである。
クリプキのいう規則に従う者の共同体は、ホッブズの絶対的主権者と同様に振舞う。
2.1 自然状態
規則のパラドクス=記号論的自然状態
「この状態では、あらゆる記号利用者が正しさの条件に関する自分の見解を基準として押し通そうと試みるのである。」
2.2 規則共同体の制定
「ホッブズと同様に、クリプキも二つのステップを必要とする。」
(1)全ての契約当事者の制裁力の行使を放棄すること
(2)契約を通じて恩恵を受ける者に全権を委任すること
「ホッブズ=クリプキ的な再構成には問題が生じる。規則共同体としての記号主権者を制定した後に、初めて記号使用は存在しうる」72
2.3 制裁力の限界づけという問題
二つの代替案が考えられる。
(1)アリストテレスの実体的構想
「人間は自然本性上ポリス的動物である」(『政治学』1253a 2)という「規範実在主義」(Normenrealismus)
(2)カントの法哲学
3 モデルとしての法状態というカントの構想
{ここでは、カントの法論における規範の正当化に類比的に、言語規則の順守の正当化を行おうとする。}
3.1 制度化の制度化
「制度化」Instituitionalisierungとは、正確には、ルーマンのいう「制度化を制度化する」(Institutionalisierung der Institutionalisierung)ということである。
第一次の制度化は、慣習からの制度化。
第二次の制度化は、手続き化された規則共同体 die prozeduralisierte Regelgemeischaft。
「カントの場合には、規則化の手続きを通じて生み出された規範的なモメント(普遍性・平等性・相互性)が同時にこうした手続きそのものへと適用されて、これでもってその手続きが再帰的手続きとなる。」73
3.2 自然状態の意味の占有としての所有物論
{カントの自然状態からの脱却の説明が、Parasitisumus Argumentであるとは、どういう意味か?}
自然状態は、rechtlosではない。{「暫定的な私のもの、汝のものはある」}
3.3 法状態への移行
(1)カント的な契約は、手続きそのものである。
{契約が手続きであるとはどういう意味か?}
(2)主権者は手続き?
契約の恩恵を受けるものは、絶対主権でなく、手続きとして措定されている。個人的な裁定権力執行の放棄は、無制約な裁定権へ向かうのではなくて、規則順守共同体の制度化によって、制限されたものであることが明らかになる。この放棄は、いわゆる正しさの諸条件を侵害する記号利用者を拒否することに制約されている。というのは、利用者は、私的な発話者のように、制度化を免れようとするからである。
どのような言語ゲームを行うかと言う問題については、これは、何も決定しない。しかし、意味の争いは、どのように規則化されるべきか、すなわち、どのように手続きてきになるか、ということについてのみ決定する。
{では、どのように手続き的になるのか?}
(3)自己関係性
規則遵守共同体の制度化は、それがもとづいている正しさの諸条件(普遍性、平等性、相互)を生み出す。
{これは、如何にしてか?}
解釈の後退を防ぐことは、循環という代価を支払うことになる。所有の制度化は、所有者が、一定の仕方で振る舞い、例えば他のものをが、その所有の利用から排除し、たものからそのように扱われる問い事に成り立つ。する。
規則順守共同体の制度化の規範的な内容は、(寄生議論が示していることだが)、順守しないことを妨げることにのみある。